クンユアムはタイ王国の首都バンコクから北西へ約1000キロ、ミャンマー連邦との国境に隣接する丘陵地帯に位置する。
人口は約2万人、人口の多くはタイヤイ(シャン人)で、カレンやモンなども山岳地帯の集落に暮らしている。
このような辺境の町、クンユアムと日本とのつながりは第二次世界大戦(大東亜戦争)にさかのぼる。第二次世界大戦下、日本はタイと同盟をむすび、日本軍が駐留し、英領ビルマへの攻略の前哨地の一つになったのである。
ここでは、クンユアムに関する詳細を紹介する。
時事通信 外信部 第2次大戦中の旧日本軍によるインパール作戦で拠点となったタイ北西部メーホンソン県クンユアム郡には、作戦などで死亡した兵士たちの慰霊碑がある。遺族の高齢化もあって管理が困難となり、一時は荒廃したが、10年前から現地の高校生らが「墓守」として清掃を行っている。
戦時中、日本は同盟を結んだタイを拠点にインドとビルマ(現ミャンマー)へ侵攻。クンユアムには1942年から旧日本軍の駐屯地が設けられ、インパール作戦後は敗走した兵士らを受け入れた。野戦病院では住民も治療を手伝ったが、重傷を負ったり病気にかかったりした多数の兵士が亡くなり、地元の寺の敷地内に埋葬された。
戦後、クンユアムには遺族会などにより複数の慰霊碑が建てられた。だが、遺族らの高齢化に加え、タイの首都バンコクから北に約800キロの遠隔地で訪問が難しいこともあって管理が困難で、荒れた状態になった。
2008年にクンユアムを訪れたNPO法人「日本タイ教育交流協会」(京都市)の木村滋世理事長(78)らは、荒廃した慰霊碑を目にし、日本から足を運ばなくても管理する方法を模索。14年から京都洛東ライオンズクラブ(同市)が協力し、地元のクンユアム・ウィッタヤー学校で日本語を学ぶ高校生による清掃が始まった。同クラブが拠出する年10万円の資金は、生徒らの奨学金などに充てられている。
清掃は24年3月まで、同校の日本語教師を務めた蔭山修一さん(68)=神戸市出身=が4人程度の生徒を引率。現在は蔭山さんの後任として日本語を教えるタイ人女性のパワンラットさん(37)が、その役割を引き継いでいる。
清掃に参加している高校2年の男子生徒ワランヨーさん(17)は「戦争で亡くなった日本人のことを知ることができた。慰霊碑をきれいにすることで、誇らしい気持ちになる」と話す。木村氏は「戦後80年近くが経過し、海外にある慰霊碑の管理が難しくなっている。今後も事業を継続し、慰霊碑保全のモデルケースとしたい」と力を込めた。