【基金概要】
この「日・タイ友好クンユアム青少年基金(クンユアム基金)」は、タイ北部の小さな町メーホンソーン県クンユアムの住民と、現地に駐留していた日本軍の間に芽生えた「友好の絆」を、次世代へと引き継いでいくことを目的に、NPO法人日本タイ教育交流協会の内部組織として設置されました。
親日国タイの中でも、「最も親日的な地域」と呼ばれるクンユアムには、第二次大戦下で紡がれた「友好の絆」が今なお、色褪せることなく輝き続けています。戦禍に散った先人の想いを鑑み、両国友好を一層強化すべく、以下の事業に取り組んで参ります。
【事業内容】
日本タイ教育交流協会は、クンユアムを「日・タイ友好の証」として捉え、内部組織として設置した「日・タイ友好クンユアム青少年基金」を通して下記の事業を実施しています。
①クンユアム高校生日本招聘
毎年、日本語クラス受講生徒1名を無償で2週間日本に招聘。
②青少年スタディーツアー実施
友好の歴史を日本の青少年に伝えるべく少数民族集落でのホームステイツアーを実施。
③ジャパニーズ・キャンプ実施支援
毎年、クンユアム高校で実施される日本文化紹介イベントに協会ボランティアを派遣。
④日本語クラス支援活動
クンユアム高校の「日本語クラス」に対し、日本文化を紹介する教材を贈呈。
⑤「京都洛東ライオンズクラブ 日本・タイ友好クンユアムプロジェクト」実施※
クンユアムにある日本兵墓地(ムワイトー寺・トーペー寺)の保全・慰霊を目的として、現地の日本兵墓地の清掃を、クンユアムウィタヤ高校生徒に担って頂き、彼らに奨学金を提供することで、日本兵墓地の保全を進めます。また、同校「日本語クラス」への運営支援金を拠出し、クンユアム地域における日本語教育の振興に取り組みます。なお、本プロジェクトは5年間(第一期)実施し、その資金は全額、京都洛東ライオンズクラブ様(京都市)のご提供によるものです。
⑥クンユアムの友好の歴史に関する広報活動
日本兵とクンユアム住民の間で芽生えた友情を、一人でも多くの方に知って頂くため、「クンユアム展」や講演会を実施しています。
H25.9月「クンユアム展」開催(カルチャーフェア内)
H26.3月「京都やわたライオンズクラブ様での講演」
H26.6月「クンユアム展」開催(カルチャーフェア内)
H27.4月「クンユアム交流会」開催
※「日本・タイ友好クンユアムプロジェクト」
平成26年2月25日、タイ王国大阪総領事館ウォラモン・ワルッタマ領事立会いの下、日本タイ教育交流協会・京都洛東ライオンズクラブ(京都市)・Khunyuam Wittaya Highschool(タイ国メーホンソーン県)の三者間協定を締結致しました。本協定締結により、下記のプログラムを平成26年度から5箇年に渡り実施致します。
・プロジェクト名称
「京都洛東ライオンズクラブ 日本・タイ友好クンユアムプロジェクト」
・実施主体
NPO法人日本タイ教育交流協会「日・タイ友好クンユアム青少年基金」
・資金提供
京都洛東ライオンズクラブ(本年度から5年間提供)
・事業内容
(1)クンユアム・ウィタヤ高校生徒による日本兵墓地の清掃・保全
(2)同校生徒への奨学金給付
(3)同校「日本語クラス」に対する日本語教育振興支援等
本プロジェクトを、戦没者遺族の高齢化や遠隔地等の地理的要因によって、日本人の手で管理することが難しい「日本兵墓地」や「慰霊碑」に対する保全・慰霊のモデルケースとするべく、国内外の関係諸団体と連携して取り組みを進めて参ります。また、本プロジェクトの実施を通して、両国青少年の交流を進め、「ポスト中国」として期待の集まるメコン地域の中核であり、2015年に予定されているASEAN地域統合の要であるタイ王国との「草の根交流」・「民間外交」を一層推進して参ります。
本事業の趣旨に賛同し、プロジェクト資金を全額ご提供下さいました京都洛東ライオンズクラブの皆様に心より厚く御礼申し上げます。
(本プロジェクトに至る経緯等は、ブログ「クンユアムプロジェクト」をご覧ください)
【お問い合わせ・取材窓口】
特定非営利活動法人日本タイ教育交流協会「日・タイ友好クンユアム青少年基金」事務局
JTEES Khunyuam Japan-Thailand Friendship Youth Fund
e-mail/ jtees_khunyuam@yahoo.co.jp
【クンユアムの歴史と地理】
タイの首都バンコクから北へ千キロ…タイとミャンマー国境の険しい山岳地帯に、メーホンソーン県クンユアムという小さな町があります。人口は2万人、その多くがカレン族やモン族などの山岳少数民族です。この小さな町は、親日国タイの中でも、「最も親日的な地域」と呼ばれています。
第二次大戦中、その小さな町には日本軍が駐屯していました。日本兵は、現地住民と共に山を拓き、田畑を耕して過ごしました。また、村人と結婚する日本兵も現れるなど、極めて友好的な関係を築きました。
その時の日本兵の様子を、タイ王国元運輸大臣ジャルーン・チュオプラユーン氏は後にこのように語ったといいます。
「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。彼らは、村人と共に働き、お互い協力して生活していた…優しかった日本兵を私は忘れない…」
果てしなく広がる田園風景に、日本兵は故郷への想いを強くしたのではないでしょうか。
【戦禍の中の絆】
クンユアムに駐屯していた日本軍は、インパール作戦のためビルマへ侵攻。しかし、連合国の反撃によりインパール作戦は失敗し、撤退を余儀なくされました。その際、ビルマからの撤退路となったのは「白骨街道」であり、その「白骨街道」の先にあった町が、クンユアムでした。
「白骨街道」の名前の通り、多くの日本兵がこの険しい山道で命を落とし、命からがらクンユアムにたどり着いた日本兵の多くが、マラリアに侵されていました。そんな時、日本軍に手を差しのべたのは、かつて共に暮したクンユアムの人々でした。彼らは、瀕死の重傷を負った日本兵を献身的に看護しました。そして、命を落とした兵士を丁寧に埋葬したといいます。
【絆を次世代に…】
1996年、クンユアムに赴任した警察中佐チューチャイ・チョムタワット氏によって、「クンユアム旧日本軍博物館」が開設されました。現在、博物館は「タイ日友好記念館」として再整備され、クンユアムにおける友好の歴史を後世に伝える施設となっています。また現地のクンユアム・ウィタヤ高校では、日本語クラスが開設され、日本人ボランティアが日本語教育に取り組まれておられます。
日本語クラスの前には、小さな「日の丸」が掲げられています。クンユアムの地で戦禍に散った先人は、小さな「日の丸」を見てどのように思われているのでしょうか。教室に響く日本の「歌」を、日本の「言葉」を、どのような想いで聴いておられるのでしょうか…。
「友好の絆、次世代へ」、先人の想いを次世代へと繋ぐ…私たちの挑戦が、今始まります。